ロレンス伝説

新年の始まりは、常に冒険と発見の可能性を感じさせるもの。

冒険といえば、T.E.ロレンスの右に出るものはありません。ここでは、ロブ・ライアンが、彼の勇敢な精神に迫ります。

これからの12ヶ月を見つめ、旅を計画する時期です。なかには、平凡で退屈な日常を打破すべく、何かに挑戦してみようと考えている人もいることでしょう。しかし、これ以上は望めない人生最大の冒険を、すでに経験してしまったとしたら?これは昔から、若くして名声を得た人々が直面する問題でした。そうした人物のひとりが、探検家兼考古学者として世界で最も辺鄙な地域へと足を運び、1916~1918年にオスマン帝国に対するアラブの反乱を導いたT.E.ロレンスです。流れるようなローブに身を包み、ラクダに乗ったゲリラ軍を率いる小柄なブロンド男性のイメージは、英国の一般市民の想像を大いに刺激し、彼は自ら望むことなく、一躍称賛の的となったのです。「アラビアのロレンス」と呼ばれた彼は、戦争に嫌気がさし、自身の有名人としての地位にも疑問を抱いていました。しかし、平和が訪れても、砂漠で体験した興奮と冒険を追い求める心を忘れることはできませんでした。彼は、バイクにそれを再び見出したのです。

ブラフ・シューペリアに乗るT.E.ロレンス
ブラフ・シューペリアに乗り、ジョージ・ブラフ(世界初のスーパーバイクの創始者として有名)と歓談するT.E.ロレンス

戦後、彼は匿名で英国空軍(RAF)に入隊し、1992年に初めてブラフ・シューペリアを購入します(後に彼は8台ものブラフ・シューペリアを乗り継ぐことになります)。バイクがもたらすスリル感について、彼は次のように雄弁に語っています。

「もうひとつのカーブを曲がると、英国で最も高速な直線道路に出るんだ。
背後で、長いコードが伸びるように排気管の音が鳴り響く。次第にスピードを上げていくと、ある時点から、自分の頭が風を切る音しか聞こえなくなるんだよ」

第一次世界大戦の作戦中、ロレンスはアラブ衣装を身につけました。ベドウィン風ローブは、カーキの軍服よりも「砂漠ではより清潔で適切な服装だった」ためです。しかし、英国でのツーリングの際に彼が選んだのは、トリプルレイヤードのコットン生地に、パッチポケット、ベルト、スタンドカラーをあしらい、極めてモダンに仕上げたベルスタッフの「コロニアルコート」(このレプリカ版として製作されたのが、現在のRoadmasterジャケット)でした。ベルスタッフは長年にわたり、様々な冒険家や旅行家に愛されてきました。このジャケットは、天候の激しい地域に向かう際に着まわしが効き、防風性と防水性に優れた服を必要とする人々のために作られたものです。ロレンスは国を離れることなく、極限下の状況に挑みました。時速約160kmでバイクを飛ばしては、追跡する警察官を林道で振り切ったことを自慢していました。

『アラビアのロレンス』のT.E.ロレンス
T.E.ロレンスの人生を描いたデヴィッド・リーン監督の映画『アラビアのロレンス』に出演するピーター・オトゥール(Peter O’Toole)。画像提供:レックス(Rex)

ベルスタッフ創業の年である1924年に購入したジョージ2号に始まり、11年後に彼が死亡するまで乗っていたジョージ7号まで、愛するブラフ・シューペリア SS100に乗るとき、ロレンスはベルスタッフのコートを着ていました(ドーセットのクラウズヒル付近で衝突事故を起こした時、ジョージ8号はまだ製作途中でした)。

1935年5月13日の朝、46歳のロレンスは事故を起こします。多少の起伏があったにせよ、長い直線上の道路でなぜ事故が起きたのかについては、いまだに解明されていません。ロレンスは衝突事故の6日後に息をひきとりました。パワフルなバイクに乗るという彼の情熱が、命を奪う結果となってしまったのです。「少しばかり血が付いた気性の激しいバイクは、どんな動物を乗りこなすより面白い。身体機能の延長上にあるし、疲れ知らずの滑らかなボディは、極限までスピードを上げるように示唆し、挑発してくるからね」「極限までスピードを上げる」ことが、その朝彼を破滅に導いたのかもしれませんが、砂漠を制覇した勇敢な碧い眼の冒険家は、80年後の現在も伝説として鮮やかに生き続けているのです。

文:ロブ・ライアン
ロバート・ライアン(Robert Ryan):The Times紙およびSunday Times紙に寄稿するライター。著書にアラビア前のロレンスを描いた小説Empire of Sand(砂の帝国)がある

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